未来へバトンを渡すこと 河田太郎

太郎さんはユリ農家二代目。

父、武雄さんは、津南町花栽培初期の生産者。まだそれほど花の栽培が広まっていない頃からの花を初めていました。

「キクやシャクヤクなど様々な品目の栽培をしていました。子供の頃、シャクヤクを掘りに畑に連れて行ってもらったことを覚えています」

 

父は、教わるのではなくて自分で考えろというタイプ。

聞けば教えてくれるけど、何も言わないですね。

 

 

 

武雄さんが、ユリの栽培をはじめたのは太郎さんが中学生のとき。

当時、ユリの生産は始まったばかり。全てが手探りでまだ出荷箱がありませんでした。

ユリの出荷に使ったのは、武雄さんのシャクヤクの箱。シャクヤク出荷箱には、『雪美人』と書いてありました。これが津南町のユリ『雪美人』のルーツです。

 

 

太郎さんは、就農したばかりの頃は、米作りをしたいと考えていました。

花は、どちらかというとやりたくなかったと言います。

「米はある程度技術が確立されていますが、ユリは思っていたようにいきません。やっぱりやっていて面白いのは、ユリです」

自分で思っていたより良い花ができるとものすごい満足感が得られる。

 

「ユリのおかげで、他でユリを作っている産地と交流することができているので、とても楽しいです。全国のユリ産地さんと交流させてもらって情報交換しています。つい先日は高知に行きました」

暖地と夏場の産地では、栽培品種も違う。全てが勉強だ。

 

 

同年代の生産者が多いので、みんなで集まって話をします。突き詰めていくと、どんどん深い話になります。時には衝突もありますよ。

 

 

栽培面積が大きい。

品種数、できれば集約したいと考えている。

「でも、やっぱり色んな品種を作るのが楽しいです」

 

世代は変わっていく。

「息子が大きくなった時に、ユリを継ぎたいと言ってくれるように、環境を整えておきたいですね」

 

 

 

理想的には、時代が変わっていく中でも、父たちが作って来たものを変わらないようにしていきたいと言う。

津南町の生産者も、人数が減っている。残された自分たちが、津南のユリが好きと言ってくれるお花屋さんのところに、きちんと荷物がいくように生産量を確保していかなくてはいけない。

 

「花屋さんが世代交代して、高単価の花を仕入れることが少なくなってしまっているかもしれないけど、それでも特別な日に買っていただけるような最高の花を作り続けるために、いい花を作って行きたいです」

 

 

津南は豪雪で地帯。

12月1日から3月いっぱいま

で、除雪の仕事をしています。

 

この雪があるからこそいい花ができます。

雪解け水があるから雪美人があるんですよ。