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津南の若手生産者の多くは二代目。
ユリの世話に情熱を注いでいる両親の姿を見て育ちましたが、
邦保さんは違います。
「就農前は、他県でサラリーマンをしていました」
他県に出たことで、農業をやりたいという気持ちが湧いてきた。
就農するにあたり、まず生産現場で研修をする必要がありました。
津南ではユリの他にもキクやシャクヤク、草花などの花きと、アスパラ・ニンジン・野沢菜などの様々な農作物が栽培されているので、
どんな作物を栽培して、農家としてやっていくかという選択肢は多くありました。
研修先はユリ農家。
研修の一年目は覚えることばかりで、
実際にユリをやるのか他のものを作っていくのか、決めあぐねたまま、目まぐるしく時間だけが過ぎていきました。
「正直、このときはまだ特にユリをやりたいという希望はなかったです」
その年の冬、先輩のアドバイスで、研修先とは違うユリ生産者のところへ行き、
そこで伝票の書き方や経営についてなど、農家になるためのアドバイスをもらいました。
その後、様々なことを考えていくうちに、ユリ農家として頑張って行こうという気持ちになり決断。
不安を抱えながらの一年目、アクシデントに見舞われます。
「雹害で半分ダメになってしまいました。初年度からいきなりで、辛かったですよ」
邦保さんは、販売部部長。
品種ごとによる出荷調整や、卸売市場さんへのPRや営業的なこと全般の活動をしている。
販売部はやることが山ほど。
農協担当者と連携を取りながら、進めている。
「最初は悩んだけど、今はユリをやって良かったと思っています。
いつまでたっても難しいけど、いいユリをきちんと出荷していきたいです」